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能登半島地震を取材した小永井一歩、内田雄基アナウンサーに聞く 目標9に関わる「地震とインフラ」の在り方

能登半島地震を取材した小永井一歩、内田雄基アナウンサーに聞く 目標9に関わる「地震とインフラ」の在り方

#RADIO
  • 産業と技術革新の基盤をつくろう

パーソナリティの新内眞衣さんとともにSDGsを楽しく分かりやすく学べるニッポン放送のラジオ番組『SDGs MAGAZINE』。1月21日の放送は「地震とインフラ」をテーマに、令和6年能登半島地震の被災地を取材したにポン放送の小永井一歩アナウンサー、内田雄基アナウンサーをゲストに迎えて、地震大国に住むわれわれが「今、できること」などを聞いた。

2024年に入って最初の収録となった今回の放送。新内さんは「今年最初の大きな出来事といえば 令和6年能登半島地震です。被害に遭われた方、 今も避難生活を余儀なくされている方に、 お見舞いを申し上げるとともに、改めて地震が多い国である日本に住む人間として、 一人一人の防災の意識 再認識が重要だと強く感じています」と冒頭で哀悼の意を表した。

2024年1月1日午後4時10分に石川県鳳珠郡穴水町の北東42キロを震央として発生した能登半島地震。最大深度は羽咋郡志賀町で震度7を観測した。その中で大きな問題の一つとなったのがインフラ。被害が大きかった半島を中心に、 そこをつなぐ道路が寸断されたことによって、 救助車両や支援物資が入ることができず孤立する地域があったり、 電気や電波の復旧に時間がかかった地域があったりと、電気、ガス、水道、道路、線路、通信といった生活に不可欠なインフラがなかなか回復しない状況が多く見られた。 

SDGsの目標9 「産業と技術革新の基盤をつくろう」 のターゲット1には自然災害などを想定し「質の高い、信頼でき、持続可能かつレジリエントなインフラを開発」との文言がある。レジリエントとは、速やかに元の状態に回復することを意味しており、まさに今回の地震を機に見つめ直すべき項目。そこで、実際に能登半島で被災の状況を取材した、小永井アナ、内田アナをゲストに、「地震とインフラ」についての考え方、備え方について話を聞いた。

小永井 「よろしくお願いします」

新内 「小永井さんは、 1月1日の地震発生当日から 最も大きな被害が出た石川県の方へ向かったということですが」

小永井 「はい、地震が起こった1月1日の夜に東京を出発したのですが、北陸新幹線が長野までしか動いていませんでしたので、長野駅からレンタカーを借りて向かいました。ただ、道路も通行止めの区間があり、迂回に迂回を重ねて、翌日1月2日の午前中に何とか能登半島にたどり着きました。1月2日のちょうど夜が明けてきたタイミングで日本海側に出ることができ、そこからも途中の国道で土砂崩れが発生して通行止めになっている区間があったんですけど、そうした道も迂回しながらの到着でしたね」

新内 「行くまでに時間がかかったということは、現地にいる人たちも状況が分からない中、支援物資を待っている状態ということですよね」

小永井 「そうですね。ちょうど私が向かっているのと同じようなタイミングで各都道府県警から集まった救急車や消防車が向かっていました。途中で通れない道があると、そこで自衛隊の方が交通整理をして交互通行させていたり、地割れが起こって二車線ある中で片方の道が通れなくなってしまっていると、交通整理の方もまだ間に合っていない状況だったので、ドライバーさんがお互い譲り合いながら通行したり、そういった感じで結構道路は混雑していました」

新内 「現地の方にお話を聞くことはできたんですか」

小永井 「1月2日午後に能登半島の中部にある穴水町という自治体に到着して、そこでお話を伺うことができたのですが、やっぱりこの穴水町のライフラインが止まっていて、電柱が傾いていたり、マンホールが飛び出てしまっていたりと、かなり痛ましい光景がありました。ちょうど避難所に向かっていた高齢の御夫婦の方にお話を伺いますと、元日の夜、お正月の夜を避難所で過ごさなければいけなかった、と。避難所は200人以上とかなり多くの方が集まっていたのですが、能登地方ってもう冬の時期で寒いんですよね。その中で暖房も使えない、ストーブも使えないという状況だったので、毛布にくるまってみんなで身を寄せ合いながら何とか夜を越した、そういうふうに話していらっしゃいましたね」

新内 「1日2日の段階だと防災の意味で、こういうのがあったら便利とか、必要だったものとかはあったりしますか」

小永井 「現地の方にお話を伺うと、やはり水と食料。この2つは足りない状況だったと話していらっしゃいました。まだ発災翌日だったこともあり、備蓄されている物とかが一応ある状況だったんですね。なので、穴水町の飲食店の方々が何人か集まって、それぞれのお店に残っていた食材を持ち寄って、それで炊き出しをしているという状況がありました。ただ、お店の方に聞くと、これも何日もつのかな、と。まだ発災翌日だった分、物資は穴水にあるもので何とかなっている部分もあったと思うんですけど、やはり水や食料っていつかは尽きてしまいますし、道路の状況もよくないので、救援物資もなかなかたどり着かない状況だったので、水とか食料をとにかく多めに、という状況でした。やはり、多いに越したことはないと思うんです。あとボンベがあれば火をつけることができて、温かいものを体に入れることができる。やはり被災地にいると、どうしても温かいものが不足してしまうので、それが寒い地域だとなおさらだと感じましたね」

新内 「この段階では、まだ電気もガスも通っていないということですよね」

小永井 「そうですね。電気、ガス、水道も通っていない状況でした」

続いて、話を聞いたのは、小永井アナと入れ替わる形で能登入りした内田アナだ。

内田 「1月3日の朝、その時には新幹線で富山駅まで行けましたので、富山まで行って、そこから車を借りて能登半島に向かっていく形でした。富山は石川の東側にある県なので、能登半島の東側を沿うような形で穴水町にまず行きました」
新内 「3日たったとはいえ、まだまだ予断を許さない状況ですし、余震とかも結構あったりしたんですか」

内田 「そうですね。着いた直後に余震がありました。震度3の地震でしたけど、一度街がダメージを受けているので、3にしては街全体が揺れているなという感じはありましたね」

新内 「翌日の4日も穴水から」

内田 「そうですね。穴水町には入れたんですけど、入った日の午後から雨が降り始めて明け方まで降っていました」

新内 「それは心配ですね」

内田 「そうなんですよ。地震の直後なので地盤が緩んでいる状況で、雨が入ってくると土砂崩れが心配だという話が3日の時点であったんですけども、4日の朝に起きると、まさに昨日まで通れた道で土砂崩れが起きている。また、水道、ガス、電気に加えて3日の夜からは電波もなくなってしまいました」

新内 「ここで電波がなくなるんですね」

内田 「停電がそもそも起きていたので。電波塔も電気で動いていて、こういう災害時のために非常用電源があるのですが、その非常用電源が3日の深夜で尽きてしまった。そこからは本当に微弱な電波になり、情報が入ってこなくなってしまいました」

新内
 「確かに電気もガスも水道も熱源もない状態で、情報もないとなると結構厳しい戦いだと思います」

内田 「避難所にいた方たちっていうのは、ようやく一時的な避難が終わって命のとりあえずの安全、安心というのが確保された状態。急に気が抜けてきて、一気に疲れが出てくるタイミングでの雨、寒さだったので、疲労感というのは4日の朝、いろいろな人から色濃く感じましたね。やはり、普段私たちが持っている連絡手段が途絶える恐怖というのは高校生とかにもお話を伺ったのですけど、特に感じているみたいで、連絡を取る方法をたくさん持っているというのも大事なんだなと思いましたね」

新内 「復旧したのは何日後くらいなんですか」

内田 「電波は私が穴水町にいた4日から5日辺りで通信会社の車両の通行が非常に多くなりました。電波を出せる車というのがあり、それを一時的に各地に置いてちょっとずつちょっとずつネットワークが回復していきました。ただ、全体が復旧するまでには1週間はたっていたと思いますね。それくらい電波というのは、なかなか戻ってこなかった」

新内 「1週間、スマホの電波が使えないとなった時に、どうやって情報を仕入れるのですか」

内田 「それはやっぱりラジオというのは一つ大きかったなと思います。ラジオで情報を聞いていた人が多かったですし、あとは公衆電話ですね。公衆電話って災害時に実はお金がかからないんです。小銭がなくても電話ができる。これを知らない人ってやっぱり多いし、災害用伝言ダイヤル171(安否などの情報を音声で登録・確認できるサービス)を使って外と連絡しているという人もたくさんいました。やはり、普段から知っているか知らないかが連絡もそうですし、情報を手に入れるというところで大きく差が出てくるところなのかなとは思いましたね」

「地震大国である日本ですけど、今回の地震以外にも南海トラフ巨大地震や都市直下型地震など、いつどこで何が起きてもおかしくない状況と日々言われています。もちろん被害の大きさも地域によって異なってくると思いますが、それでも備えるべきこと、今できることもあるかと思います」と新内さん。番組の最後には、能登半島地震の実状を目の当たりにしてきた2人に「今できること」を聞いた。

小永井 「基本的なことだと思うのですが、各自が自分の住んでいる地域の避難所をしっかり確認すること。避難所の救援物資だけを頼らないで、個人として最低限の備蓄はしていたほうが良いのかなと思いました。“備えあって憂いなし”だというふうに感じましたね」

内田 「起きる前できることをしっかりやっておくということがまず大事ですし、最低限(の備蓄)は必ず持っていていただきたい。私は最大限くらい持っていていいんじゃないかなと今回の取材で思いましたので、最低3日、5日くらいあると助かるというのが指標なら、まず5日分を目指して良いんじゃないか、それくらいちゃんと今のうちから考えておくことが大事だと思います。この日本に住んでいる以上は、地震とは付き合っていかなければいけないですから、自分たちの生活を見つめ直して、今できることを今すぐにやっていただけたら嬉しいなと思います」

新内 「ありがとうございます。小永井一歩アナウンサーと内田雄基アナウンサーでした。ありがとうございました」

2人 「ありがとうございました」

内田アナの後には、ニッポン放送から飯田浩司アナも現地入り。1月5~7日に特に揺れが強かった石川県珠洲市飯田町を中心に取材する中、半壊、倒壊した家が多かったという現実を新内さんは聞いたという。「地震とインフラ」をテーマに届けた今回の放送で、新内さんは「備え」の重要性を感じた様子で、「どこに備えを置くのか、導線を確認しておくことも普段から考えなきゃいけないのかなと思いました。自分自身もそうですし、家族のことも考えなきゃなと改めて思うので、今日この収録が終わったら家族にラインを投げ掛けようと思います」と、情報の共有を強く意識していた。

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