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野球部が丸刈りなのはなぜ?学校の規則と自由について考えよう

野球部が丸刈りなのはなぜ?学校の規則と自由について考えよう

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夏の風物詩といえば、花火やお祭り、蝉の鳴き声などが挙げられます。その中でも、全国の高校球児たちが躍動する全国高等学校野球選手権大会(通称、甲子園)は、今年の夏も大いに日本中を盛り上げました。
今年は神奈川県の「慶應高校」が優勝し、優勝後には町全体で祝福モードの光景がニュースやメディアで報じられていましたが、注目された理由の一つとして、”髪型の自由”があります。
世代によっては野球部=丸刈りのイメージが強いのではないでしょうか?
しかし今年の甲子園では、慶應高校を筆頭に7校ほどで髪を伸ばした選手が出場している学校が見受けられました。
今回はこの話題から、部活動や学校での規則のあり方について考えていきたいと思います。

どうして野球部は丸刈りなの?

みなさんも、「野球少年」を思い浮かべると、丸刈りで帽子をかぶって練習している人をイメージされるのではないでしょうか。
しかし実は、日本の学生野球における理念と方針を決める「日本学生野球勲章」には、高校球児は丸刈りでなければいけない、という項目は存在しません。
では、なぜ丸刈りであることがスタンダードになったのでしょうか。
その主な背景には、帽子をかぶって行うスポーツのため、衛生面を配慮したことや、全員で坊主にすることによって、精神を勝利に総動員するため、などがあると言われています。
特に明確な決まりがあるわけではなく、昔から続く暗黙のルールのようにも見えます。
確かに衛生面や体調のことを考えると、坊主の方が理にかなっていることもあるかもしれませんが、もちろん坊主にしなければいけない、という訳でもありません。

戦後すぐから髪型は自由。慶応高校の「独立自尊」の考え方

そんな中、今夏優勝校の慶應高校では戦後すぐに坊主の強制をやめているのです。
それは慶應義塾の、周囲の意見に左右されず自立し、自分の意見を持つという「独立自尊」の考え方が元となっています。前髪などでボールが見えなくなるなどの場合を除き、生徒には自由な髪型を選ばせていました。
昔から多くの球児たちが坊主で統一していた中、髪型の自由を与えていた慶応高校が、この多様化が進む時代に優勝したことで、今後の野球部における髪型の自由の歴史が変わっていくかもしれません。

やりたいことを諦めている?学校の謎ルール

野球部だけではなく、他の部活や学校生活でも暗黙の”謎ルール”は存在します。
男性化粧品を手掛ける株式会社マンダムは、全国の高校生と先生に部活の頭髪ルールについてアンケートを実施し、生徒たちがどんなことを考えているのか調査しました。
その中で「学校生活でおしゃれや自己表現の制限が理由でやりたいことを諦めたことはありますか?もしくは友人などの話を聞いたことはありますか?」という質問に対し、約10人に1人が髪型を理由に退部、入部を諦めた経験があると回答。
野球部では坊主にすることで、好きな髪型にできなかったり、文化部ではコンクールの際に、表情が明るく見えるよう、コンプレックスであるおでこを出す髪型が嫌だったなどの理由が挙げられました。
そして「部活動を行う中で髪の長さや髪型で自己表現ができることは、部活参加意欲アップや競技等のパフォーマンスアップに繋がると思いますか?」という質問に対して、約7割が「繋がると思う」と感じているようです。
10代の多感な時期に、コンプレックスをさらけ出すことや、やってみたいことができない環境は特に窮屈に感じるかもしれません。

また、岐阜県の岐山高校では、今年の6月に髪型や化粧に関する校則を3週間撤廃する取り組みが行われました。もともと岐山高校は「髪は着色・脱色しない」「化粧等はしない」という校則があります。
それでもこの取り組みを始めたのは、生徒たち自身に校則がどういうものかを考えてもらうためでした。3週間の施策期間が終わり、先生や生徒の間で振り返った際には「金髪にしたから成績が落ちたと言われないように頑張ろうと、モチベーションが上がった」「お手洗いが化粧直ししている人で混んでいて嫌だった」など、様々な意見が出されました。
全部だめ、ではなく一度試して何を感じるかを考えることができる、貴重な3週間を生徒たちは過ごしたのではないでしょうか。

『自分は大人だと思うか?』6カ国中最下位の日本

日本財団は18歳意識調査の一環として日本・米国・英国・中国・韓国・インド6カ国の若者を対象にした「国や社会に対する意識」の二つの調査を実施。自国評価や社会参加意識などでも日本は6カ国中最下位が目立つ結果となりました。

こうした結果はここまで話をしてきた無条件にルールを守らせる仕組みの問題にあるかもしれません。学生は確かに守るべき存在ではありますが、人としての意見や権利を制限されることは人権を無視していることにもなり、彼らのためにはなりません。

今や働き方、職業自体も多様化しており、正解は自ら選んでいくものに変わっています。関わる大人から見ると、反発やルールを守れない若者に見える人もいるのかもしれませんが、若者の抱える思いを、今の時代は摘み取らず、一人の人として向き合っていかなければ、上記のような結果に繋がってしまいます。自ら思考し、試し、失敗して学んで、自らの責任を実感して一人の人間となっていく。こうした行動を堰き止め、画一化した人間に教育することの方が将来の日本にとってもリスクが大きいことは明らかなのではないでしょうか。

考えていきたい規則と自由

学校の規則や暗黙のルールは時には生徒を縛り、時には生徒を守ります。
どこまでが良くて何がプラスになるのか、大人はもちろん、学生であるうちから考えていく機会が増えるとよいですね。
この機会に、自分の学校はどんなルールがあって、どうしていけばより快適なスクールライフが送れるか考えてみてはいかがでしょうか。

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