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能登半島地震から半年で見えてきた、災害大国日本の“ボランティアの限界”って?

能登半島地震から半年で見えてきた、災害大国日本の“ボランティアの限界”って?

#SHOW CASE
  • 住み続けられるまちづくりを

1月1日に起きた能登半島地震から、7月1日でちょうど半年を迎えました。報道はすっかり減りつつありますが、いま被災地はどんな様子なのでしょうか。発災翌日から現場入りし、石川県で支援活動を続ける非営利団体「災害NGO 結(yui)」(以下、結)の代表、前原土武さんに話を聞きました。

石川県能登地方を中心にマグニチュード7.6、最大震度7を記録した令和6年能登半島地震。石川県の発表によると、災害関連死を含む死者数は260人、住宅被害は約84,000棟。現在も2,000人以上が避難生活をおくっています。仮設住宅への引越しや倒壊家屋の片付けなど人手が必要とされていますが、ボランティアの参加人数は減りつつあり、多くの支援団体が今もなお協力を呼びかけています。

しかし、「実は地震の支援はボランティアでは対応できないことが多い」と前原さんは指摘します。
「たとえば、水害は雨が止んで水が引けば復旧が始まるけど、地震はそれをきっかけに津波、火事、土砂崩れ、隆起、沈下と全部起きちゃう。倒壊した建物の危険度も上がるので、そうした環境での支援活動はきびしいことが多いんです」

実際に最近のボランティアのニーズで多いのは倒壊した家屋での貴重品探しやブロック塀の解体などですが、そうした作業は危険を伴うため、各市区町村、都道府県・指定都市に設置・運営されている社会福祉協議会(以下、社協)が募集する一般ボランティアでは対応が難しく、長期にわたって被災地に常駐する滞在型のNPOが経験値のあるスタッフやボランティアを派遣し、安全管理を徹底しながら、それらの技術系ニーズを担っているのが現状です。

写真提供:災害NGO結

「社協は日本全国にありますし、災害は弱い立場の人がさらに弱くなってしまう、という意味では、社協が災害ボランティアセンターを運営することは理にかなっていますが、一方で、土木や建築の知識がないので、支援の初動期は相性が悪く、やはりNPOと連携しないといけないよね、と気づかされたのが東日本大震災だったと思います」

前原さんが代表を務める結も長期で活動する滞在型NPOのひとつですが、こうした災害に特化したNPOは日本国内ではとても少ないため、支援に入ることができる地域は限られています。結では、被災地で支援の手が届かない”穴”が生まれてしまわないよう、他団体と活動範囲を調整しながら、能登半島全域で活動を行っています。これまでに受け入れたボランティアの数は5,000人以上。そのほか物資の提供、炊き出しやお風呂支援なども行ってきました。

写真提供:災害NGO結

「ボランティアがまさかここまでやっていることはあまり知られていないと思います。私たちのいる日本は災害大国ですから、変化する社会と共に、対策をしていかないといけません。能登は今その過渡期にあると思っています」

ボランティアに行きたい人がいても、被災地のニーズの調査や支援活動とのマッチングができなければ、被災者の方々のお手伝いをすることはできません。行政や社協がカバーしきれない、そうした細やかなサポートや調整を担っているのが、結をはじめとするNPO団体なのです。もしこうした災害NPOを支援する法制度や中間支援機関ができれば、日本各地で災害が起きたとき、あなたの街を助けてくれる人がもっと増えて、社会のセーフティーネットになるかもしれません。

10年後を見据えた「災害復興のデザイン」

現在、結では石川県七尾市の廃校を市から借り受け、支援拠点として運営しています。約10名ほどの常駐スタッフのもと、約30台の車両、重機や物資類が備えられ、個人や企業など毎日数十人のボランティアが訪れています。

発災翌日の1月2日に現地入りした前原さんは、すぐに被災地を走りまわり、行政や他団体と連絡をとりあいながら、各地の被害やインフラの状況を確認しました。その見立てを通じて「復興のデザイン」を考え、支援のメニュー化を行ったといいます。人と情報を集める支援拠点を立ち上げる構想もそのひとつでした。

「能登の復興のキーワードは、連携とまちづくりです。最初は冬を乗り越えよう、春まで頑張ろうというのが被災者のみなさんの目標でしたが、半年が経ち、今度は生活の再建を考えないといけなくなりました。でも、能登はもともと地震が起きなくても、30年後に集落がなくなるといわれていた地域です。そこへトリガーのように地震が起きた。これからは生きがいをどう見出すかという仕掛けが必要になってきます。まずはお祭りです」

能登半島では7月から10月にかけて、巨大な灯篭が街を練り歩く「キリコ祭り」が行われることで知られています。江戸時代から続く能登伝統の同祭りですが、被災してしまった地区も多いなか、能登町では今月「あばれ祭」が開催されるそう。「祭りを機に、たくさんの人に能登を好きになってもらい、10年通い続ける人が増えてほしい」と前原さんはいいます。

「能登で起きていることは、日本各地これからどこにでも起きることです。コロナ禍を経て、住むだけが暮らしではなくなったなかで、集落とどう向き合っていくか。災害をきっかけに、被災者も支援者も子どもも一緒になって、毎年お祭りのたびに”能登に帰ってくる”ような関係ができるといいなと思っています」

今年、前原さんのもとには最年少ボランティアとして、なんと10か月の赤ちゃんがやってきました。母親に抱っこされた男の子は避難所の人たちにたくさんの笑顔を届けてくれたそうです。

写真提供:災害NGO 結

「ボランティアに訪れるすべての人に意味があると思っています。障がいがある人もきますし、ご高齢の方もきますし、車の免許をもってない人もきます。自分も一人前じゃない人間で、仲間やいろんな人たちに支えられているので、そんな社会であってほしいし、そんな社会をみんなでつくっていけたらいいなと思いますね」

10年先の能登を考えながら、大切な人を守れる社会に日本を変えていきたいと語る前原さん。今後は支援拠点でシーカヤックなどのイベントを行うことも考えているそうです。ボランティアに参加して家族で防災を考える、そんな夏休みの過ごし方も素敵かもしれませんね。


前原土武(まえはら・とむ)
災害NGO結代表/1978年沖縄県生まれ。
美容師、アウトドア添乗員を経て、東日本大震災をきっかけに現職。
発災後24時間以内に災害地に駆けつけ、被害の概況の発信や今後必要とされる支援を見立て、復旧・復興期まで幅広く支援調整業務を行う。
団体名である「結」は、出身地沖縄の「ユイマール」(共同作業の習わし)と、自然災害で被害に遭われ困っている方々と、それをサポートしたい方々を少しでも早く繋げる事で未来の笑顔に結び付いてほしいという想いが込められている。

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