風を味方にして時速50kmで海上を走るエコなスポーツ――ウインドサーフィン・新嶋莉奈選手に聞く競技の魅力(前編)
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全日本ジュニア選手権5連覇を成し遂げ、ユースオリンピック競技大会には最年少で出場。2023年のセーリング国際試合「フレンチオリンピックウィーク」iQFOiL級女子の部では銀メダルを獲得するなど、ウインドサーフィンの国内トップ選手として活躍している新嶋莉奈さん(エリエール所属)。エンジンなどを使わず、海上を吹き抜ける風の力を操って加速するエコなスポーツ、ウインドサーフィンの魅力など、たっぷりとお話いただきました。
新嶋莉奈(にいじま りな)選手
エリエール所属のウインドサーファー。1999年11月13日生まれ、神奈川県鎌倉市出身。2008年より全日本ジュニア選手権を5連覇。中学でテクノ293に転向、第2回ユースオリンピックに出場し7位となる。高校生でRSX級に転向し、JSAF次世代強化メンバー、ユースナショナルチームとして研鑽を積み、ISAFユースワールド日本代表選手として2016年から2大会連続出場、2017年には6位の成績を収める。2018年より特別強化選手に選抜。2022年慶應義塾大学を卒業。
――ウインドサーフィンはどのような競技なのでしょうか。
一般的には4種目ありまして、私はコースレースをやっています。風上と風下にあるマーク(ブイ)を回って着順を競うものになっています。そのほかには、風下にだけマークが打ってある短距離のような種目のスラローム、フィギュアスケートのようにジャンプなどの技を競うウェイブ、同じように技を競うものですが比較的フラットな海面でクルクル回転する技などを競うフリースタイルがあります。どの種目でも、基本的にその場の風をコントロールしています。
――自然の風だけであれだけのスピードで海の上を走ることができるのですね。
風の力だけで、海の上であればどこまでも行けるんですよ。私の競技でも時速50~60㎞くらい出ますし、スピードに特化した競技だと時速100㎞にもなるんです。エンジンなどを使わずに、そこまでスピードが出せる競技って、すごくエキサイティングだと思いますね。
――新嶋さんはお父さまもウインドサーフィンをされていたので、小さい頃からボードに乗っていらしたそうですね。
乗り始めたときはもう、4歳くらいなので覚えていないんです。はっきりと覚えているのは、小学校2年生くらいに大会で優勝したとき。でも、小さい頃はやらされていたような感覚が強かったんです。周りから固められて、オリンピックを目指すようにレールが敷かれていて…。自分の意思でやりたいと思うようになったのは高校生ぐらいでした。世界で活躍できるようになって、その時に私は世界10位だったんですけど、ライバルが世界3位になったんです。すごく悔しくて、そこから自分からしっかり練習していかなきゃ、と変わったように思います。負けず嫌いなんですよ(笑)
――選手生活の中で大切にしてきた芯の部分はどのようなことでしょうか。
やっぱり体が資本ということでしょうか。それは、パリオリンピックに向けたキャンペーンを通して本当に実感したところです。自分の体調のできる範囲で無理をせずにコツコツと積み重ねていくことが、本当に大事だと思いました。
――期待されていたパリオリンピックへの出場切符は残念ながら逃してしまう結果となりました。悔しい想いを感じていらっしゃると思いますが、今の率直なお気持ちや見えてきた今後の課題などをお聞かせください。
オリンピックを目指すにあたって、毎年の目標を高めに設定していたところがあるんです。日本セーリング連盟が設定するオリンピック強化選手の認定基準があるのですが、毎年のピークをその基準に合わせていたんですね。無理をして1年ごとに増量を繰り返していたことが私の中での敗因じゃないかと感じました。1年の計画はすごく綿密に練りましたし、世界選手権で上位に入るためにピーキングしようとしていたんですけど、4年と言う大きな枠組みでの計画性が足りなかったんじゃないかと思います。今後も取り組んでいくのであれば、1年ごとにピークを作るのではなく、4年間という長いスパンで目標を定めて取り組んでいく方が良いのではないかと今は考えています。
――競技に臨む中で、どんなことが大変でしたか。
練習量を増やすと痩せてしまう、というのが一番難しかったですね。私、燃費が悪いというか(笑)、本当にすぐに痩せてしまうんですよ。もう少し練習したいけど、痩せちゃうから切り上げよう、という体重とのバランスが難しくて。当初は食べられるだけ食べて練習していたんですが、後半は胃がボロボロになってしまって食事量も減ってしまっていたんです。
――レース競技なので体重が軽い方がいいのかと考えがちですが、しっかりと体重が必要なんですね。オリンピックを目指す間は過酷な練習の日々だったと思いますが、どんなことが競技に向かう原動力になりましたか。
オリンピックを目指した最後の1年は、私だけでは何もできないような状況でしたから、本当にたくさんの方に助けていただきました。所属する「エリエール」(大王製紙株式会社)の方々の支援や、応援してくださる皆さまの声援、全面的に協力してくれた家族など、本当に感謝しています。母は、最後の方は仕事を休んで私の遠征につきっきりでご飯を作ってくれていたんですよ。コーチやトレーナーさんもいろいろと1から10までやってくれたような環境で、本当に私は人に恵まれていたと思います。私だけの意志だったら、途中であきらめていたかもしれないけれど、たくさんの方々の応援や協力があって、頑張ることができました。
――選考を終えて帰国されてからはどのように過ごされていますか。
今は次のオリンピックを目指すかどうかを考えている状況です。選考が終わってからは、ウェイトトレーニングだけを少しだけやっています。もう一度、オリンピックに挑戦したいという気持ちはありますが、体調がまだ戻っていないので…あと4年間、また体を追い込めるのか、もう少し休んで整えてみないと分からないというのが、正直なところですね。
後編に続く(7月8日(月)公開予定)