剛力彩芽と学ぶ「障害とSDGs」 史上最大の障害者差別撤廃キャンペーン「#We The 15」とは
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女優、剛力彩芽さんと持続可能な開発目標「SDGs(エスディージーズ)」を学ぶニッポン放送の特別番組『SDGs MAGAZINE』。9月23日の放送に車いすテニスのレジェンド、齋田悟司さんがゲスト出演した。13個の金メダルを獲得するなど日本選手の活躍が目立った東京パラリンピック。解説や聖火リレーのランナーなどで関わった齋田さんに “SDGs目線”で大会を振り返ってもらった。
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車いすテニスと言えば、日本選手団の主将として東京パラリンピックに臨み、シングルス3つ目の金メダルに輝いた国枝慎吾選手を思い浮かべる人は多いだろう。ただ、日本にはそれ以前にも“レジェンド”と呼ぶべき偉大な選手がいたのをご存知だろうか。2004年のアテネ五輪で国枝選手と組み、男子ダブルスで日本初となる金メダルを獲得した齋田選手は、1996年アトランタ大会から日本最多のパラリンピック6大会連続出場を果たし、2003年には国際テニス連盟選出の「世界車いすテニスプレーヤー賞」を日本選手として初受賞した、まさにレジェンドであり、49歳の現在も現役でプレーしている第一人者だ。
剛力 「このパラリンピック期間中も、お忙しかったとか」
齋田 「残念ながら選手として出場はできなかったのですが、解説という形で車いすテニスを紹介させていただきました」
剛力 「聖火リレーにも参加されたとか」
齋田 「そうですね。地元・三重県の四日市でやらせていただいて、一生に一度来るか来ないかのオリンピック・パラリンピックにそういった形で携われたのは、すごくうれしかったですね」
剛力 「どんな感覚でしたか」
齋田 「自分が聖火の炎をつないでいるということで、楽しみながらも、重大な任務なので頑張ってやりました(笑)」
剛力 「今回のパラリンピック、日本選手も大活躍でしたが、率直に振り返っいかがでしたか」
齋田 「本当に、普段から一緒に練習している選手もいっぱいいましたし、直前の強化合宿なんかも一緒にやったりとか、一人一人思い入れのある選手ばかりだったので、自分がやるより緊張するくらいでした。いろいろな体験をさせてもらって、各選手それぞれの姿を見て、毎日毎日すごく感激をしていましたね」
剛力 「特に印象に残っているのは」
齋田 「クアードクラス(下肢だけでなく手・指にも障害のある選手が出場)ではダブルスで初めてメダルを獲得(諸石光照・菅野浩二のペアが銅メダルを獲得)し、(銀メダルに輝いた)女子の上地(結衣)選手は決勝で劣勢に立たされていたところから最後まで諦めず、逆転できるんじゃないかというところまで追い上げてきました。本当に、今でも涙が出てきそうなくらい本当に素晴らしい試合でした。あとは、車いすテニス競技の最後に、国枝選手が素晴らしいプレーで金メダルを取ってくれたことも、うれしくて感動的なシーンでしたね。日本選手団の主将としてプレッシャーも大きかったと思うのですが、自分も解説していて、思わず感極まってしまいました」
そんな今回のパラリンピックだが、「スポーツの素晴らしさ」「限界への挑戦」といったテーマとともに、世界に発信された重要なトピックがあった。『#We The 15(ウィー・ザ・フィフティーン)』。世界人口の15%(12億人)に何らかの障害があるとする国連推計を基に名付けられたもので、開幕直前の8月19日に国際パラリンピック委員会(IPC)によって発表され、開会式・閉会式でも紹介されて話題を呼んだ。ソーシャルメディアの企業やサッカー元イングランド代表のデイビッド・ベッカム氏ら著名人も賛同者として名を連ね、「史上最大の人権運動」になることを目指している、世界的な障害者差別撤廃キャンペーンだ。
剛力 「感動もたくさん与えてくれたパラリンピックですが、その意義や私達が受け取るべきものは、その先にもあります。その一つが『#We The 15』。こうした動きをどのように受け止めていますか」
齋田 「世界で15%の人が何らかの障害を持っているということですが、そんなにいるんだと、自分も知りませんでした。われわれは車いすに乗っているので見た目で分かるんですけど、言語障害の方もいれば、内臓に障害のある方もいる。そういった方々は、パッと見では分からないですし、15%というかなりの数の人がいて世の中が構成されているということで、そういった人たちを誰一人取り残さないようにという考え方は当然だと思います。『#We The 15』を主張してくれたことで自分も勉強になりましたし、また世界の皆さんがそういった現状を認識できたというのは、とても素晴らしいことだと思います」
剛力 「こうやって言葉や文字で表してくれると、すごく意識が変わっていきますね」
齋田 「そうですね。知らなかったことを、こうしたパラリンピックという大きな舞台で発信してくれたことで周知できる良いチャンスになったのではないかなと思います」
SDGsには、ゴール10「人や国の不平等をなくそう」やゴール11「住み続けられる街づくりを」などで障害について触れられている。
そして、何より「誰一人取り残さない」というSDGs全体を貫くスローガンに、障害を持つ人とSDGsの無視できない関係性が表れているといえる。剛力さんは、そんなSDGsについて齋田さんに「思うこと、感じていることはありますか」とたずねた。
齋田 「世の中、いろいろな人がいますよね。年齢であったり、性別、民族、生まれ、宗教であったり。また、経済的に豊かな人、そうでない人もいる。そうした全ての人たちが2030年までにステップアップしていって、社会的、経済的、政治的に取り残されないようになっていけばいいなと思っています」
剛力 「世界各国でプレーしている中で、障害を取り巻く環境の違いとかはあったりするんですか」
齋田 「自分は、車いすテニスの大会で欧米諸国を中心に、さまざまな国に行くのですけれども、海外の人たちは大会を支えてくれる側ではあるんですけど、ボランティアの人も本当に一緒に楽しんでいるというのが第一印象ですね。日本のボランティアの方々も本当に一生懸命にやってくれるのですが、どこかしらちょっと大変そう。一生懸命すぎて、逆に大丈夫かなという部分はあります。真面目だからですかね、そういったことも、もちろんすごくうれしいんです。ただ、もう少し楽しむ余裕もあって良いかなと思います。大会を一緒に楽しめたら、選手もすごくうれしいし、そうなっていくと良いなと思います」
剛力 「日本人は、もっと解放された方が良いですね(笑)」
また、SDGsと障害について考えた時、剛力さんの強く印象に残っているのが、2020年12月4日の第9回放送にゲストとして出演した中野泰志氏の言葉だという。慶応義塾大学でバリアフリー・ユニバーサルデザインに関する研究を行う中野氏は「障害とは、その人が持っているものではなく、社会がつくったもの。社会全体が最初からそういった人のためにつくられていないことが障害である」と、新しい視点で障害を捉えていた。
(剛力彩芽が慶大・中野泰志教授に聞く“気づき”がもたらす「住み続けられるまちづくり」より)
剛力 「中野先生は、そうおっしゃっていたのですが、齋田さんは障害についてどのように捉えていますか」
齋田 「なかなか難しい質問ですね。自分の場合は、障害者になったのは12歳の時(骨肉腫により左下肢を切断)で、それまでは健常者と言われる障害のない体だったんですけれども、やはり障害を持つまでは健常者というのが普通だと思っていましたし、言い方は良くないですが、障害のある人たちの存在というのもどこか遠くの人たちという気持ちだったんです。いざ、自分が障害者になって、いろんな障害のある人たちに携わるようになって、そうした人たちがいろいろな仕事をしながら、車いすのバスケットボールとかテニスをやっていたりだとかする姿を見て、自分は励まされました。自分が障害を持った時は孤立感、何で自分だけがという気持ちがすごくありました。そうした障害を持った先輩方にいろんなことを教わって、社会でこうしてやっていけるんだよというのを示していただいたのは、すごくうれしかったし、今の自分があるのもそういった先輩方のおかげだと思っているんです。でも、障害を持った人が近くにいないと、なかなか身近に感じられないのかなと思います。今でこそ、学校で教育が行われていますけれども、そうしたことを通じて障害に対する理解や認識を深めていってほしいなと思っています」
剛力 「最後に、齋田さんからSDGsの期限である2030年に向けた提言をうかがいたいのですが」
齋田 「漠然としたことなのですが、全ての人が明るく、楽しく、過ごせる未来にしたい、なってほしいなということです。自分も、その一翼を担えるような活動をしたいと思っています」
情報キュレーションメディア「グノシー」の木村新司さん、戦場カメラマンの渡部陽一さん、パラリンピックで解説も務めた齋田悟司さんと、メディアと関わりのある3人のゲストを招いた今回の放送を、剛力さんは「人としても、表現者としてこのお仕事をしている側としても、今日はめちゃくちゃ勉強になりました」と振り返った。女優として、発信する側として、剛力さんにとっても今回の放送はその責任を改めて深く考えるきっかけになった様子だ。