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なぜ日本では新しい治療が届きにくいのか。|創薬と薬価制度の現実


この記事に該当する目標
3 すべての人に健康と福祉を
なぜ日本では新しい治療が届きにくいのか。|創薬と薬価制度の現実

日本は、誰もが公的医療保険のもとで医療を受けられる国として、国際的にも高く評価されてきました。
しかしその一方で、見過ごせない現実があります。それは、必要な治療にたどり着けない人がいるということです。

症状があっても原因がわからず、複数の医療機関を受診し続ける。ようやく診断がついたときには、数年が経過している。そんなケースは少なくありません。
さらに、その病気に対する治療薬が海外には存在していても、日本ではまだ使えない、あるいは導入されていないという状況に直面することもあります。

この問題の象徴が、いわゆる「ドラッグラグ」と「ドラッグロス」です。前者は海外で承認された薬が日本で使えるまでの遅れ、後者はそもそも日本市場に導入されない薬が増えている状況を指します。特に希少疾患や最先端医療の分野では、その影響が顕著に現れています。

この課題について、ノバルティス ファーマ株式会社 代表取締役社長のジョンポール・プリシーノ氏と、元厚生労働省医政局長の武田俊彦氏による特別対談が行われました。
企業と政策、それぞれ異なる立場からの視点が、日本の創薬環境が直面する課題を浮き彫りにします。

イノベーションを左右する薬価制度の現実

「薬価は単なる価格ではなく、イノベーションの価値そのものです」

製薬企業の立場から、プリシーノ氏はこう語ります。新しい医薬品の開発には、長期間にわたる研究と莫大な投資が必要です。薬価が適切に評価されなければ、その投資を回収することが難しくなり、次の研究開発への再投資にも影響が及びます。

実際、ノバルティスは2025年、グローバル全体で売上高が前年比約8%増加し、営業利益は219億ドル(同14%増)を達成しました。利益率は約40%に達しており、その成長を支えているのは、がん治療や遺伝子治療などの革新的医薬品です。
こうした背景から、企業にとって薬価制度は単なる価格設定の仕組みではなく、「どこに投資するか」を左右する重要な判断材料となります。イノベーションの価値が十分に評価されない市場では、新薬の投入が後回しになる可能性があります。

その結果として生じるのは、患者が新しい治療にアクセスできるかどうかという格差です。制度のあり方が、そのまま医療の選択肢に影響を与えているのです。

「薬が高い」は本当か。見えにくい医療費の実態

一方で武田氏は、医療費に関する一般的な認識に疑問を投げかけます。
「医薬品費だけが医療制度を圧迫しているという見方は、必ずしも正確ではありません」

医療費全体は増加しているものの、医薬品費の伸びはこの10年ほとんど見られていないというデータもあります。薬価引き下げ政策が続く中で、医薬品への支出は抑えられてきました。
しかしその結果、価格抑制が優先され、イノベーションの価値が十分に評価されない構造が生まれている可能性があります。

さらに、日本の薬価制度では、販売が拡大した場合の価格引き下げや、費用対効果評価による減額など、特許期間中であっても価格が下がる仕組みが存在します。こうした制度設計は、企業側から見ると投資回収の不確実性を高める要因にもなり得ます。

市場としての魅力が低下すれば、企業の投資判断にも影響し、日本への新薬導入が遅れる、あるいは見送られるリスクが高まります。結果として、その影響は患者に返ってくることになります。

希少疾患と医療アクセス。SDGsが問う課題

世界には約6,000の希少疾患が存在するとされ、その多くに有効な治療法がありません。ひとつひとつの患者数は少なくても、全体としては大きな社会課題であり、日本でも多くの患者や家族が影響を受けています。

希少疾患は患者数が限られるため、開発コストの回収が難しく、企業にとって参入のハードルが高い分野です。そのため、薬価制度や市場環境が厳しい場合、日本市場が後回しにされやすい構造が生じます。
その結果として生じるのがドラッグロスです。海外ではすでに利用できる治療が、日本では選択肢として存在しない。この差は、患者の生活の質や生命予後にも大きく影響する可能性があります。
この問題は、SDGsの目標3「すべての人に健康と福祉を」にも深く関わります。重要なのは、医療が存在することではなく、誰もがそれにアクセスできるかどうかです。

さらに、薬が承認されたとしても、診断体制や専門医の不足、医療機関の偏在といった要因により、実際の治療につながらないケースもあります。医療アクセスの課題は、制度だけでなく、医療提供体制全体に関わる問題です。
今回の対談から見えてきたのは、日本の医療が「制度」「産業」「医療現場」というそれぞれの領域で機能していても、それらが十分につながっていなければ患者には届かないという現実です。

医療費を抑えることと新しい治療を届けることは、本来対立するものではありません。両者をどう両立させるかが、これからの医療政策と産業政策に求められています。
医療先進国であり続けるために必要なのは、患者を中心に据えた視点で、創薬、制度、医療提供体制を一体として見直すことです。
その選択が、日本で受けられる医療の未来を左右することになるでしょう。