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ニッポン放送『SDGs MAGAZINE』 新内眞衣と学ぶSDGs 初の公開収録で「SDGsとパラスポーツ」を花岡伸和さんと深掘り #後編


この記事に該当する目標
8 働きがいも経済成長も 10 人や国の不平等をなくそう 11 住み続けられるまちづくりを
ニッポン放送『SDGs MAGAZINE』 新内眞衣と学ぶSDGs 初の公開収録で「SDGsとパラスポーツ」を花岡伸和さんと深掘り #後編

新内眞衣さんがパーソナリティを務めるニッポン放送のSDGs 啓発番組 『SDGs MAGAZINE』の公開収録が、8月20日に東京・駒沢オリンピック公園で開催された「TOKYOパラスポーツパークin駒沢」の会場内で行われた。9月11日の放送では、そのもようを紹介。後半では、日本パラ陸上競技連盟の常務理事を務める花岡伸和氏に、SDGsとの関わりに話が及んだ。

■障害にまつわるSDGs

2度のパラリンピック出場を果たすなど、車いすマラソンの世界で日本の第一人者として活躍してきた花岡氏だが、おのずとその取り組みはSDGsへと繋がるものになっていった。まずは、パラスポーツと関連性の高い障害にまつわるSDGsの目標・ターゲットを見てみる。

《目標8:働きがいも経済成長も》
8-5

2030年までに、若者や障害者を含む全ての男性及び女性の、完全かつ生産的な雇用及び働きがいのある人間らしい仕事、並びに同一労働同一賃金を達成する。

《目標10:人や国の不平等をなくそう》
10-2

2030年までに、年齢、性別、障害、人種、民族、出自、宗教、あるいは経済的地位その他の状況に関わりなく、全ての人々の能力強化及び社会的、経済的及び政治的な包含を促進する。

《目標11:住み続けられる街づくりを》
11-2

2030年までに、脆弱な立場にある人々、女性、子供、障害者及び高齢者のニーズに特に配慮し、公共交通機関の拡大などを通じた交通の安全性改善により、全ての人々に、安全かつ安価で容易に利用できる、持続可能な輸送システムへのアクセスを提供する。

11-7
2030年までに、女性、子供、高齢者及び障害者を含め、人々に安全で包摂的かつ利用が容易な緑地や公共スペースへの普遍的アクセスを提供する。
新内 「花岡さんが気になる項目はありますか」

花岡 「SDGsって17のゴールがありますけど、正直なところ一個ずつ何だったっけというレベルです。ただ、僕が所属している競技団体の将来ビジョンもSDGsから持ってきているのですが、全体を通して言えることって、地球をどうしていきたいかという結構壮大な話で、具体的には平和で誰一人取り残されない安心安全な世の中にみんなでしていきましょうという話だと思うんです。そのためにスポーツって何ができるかということを、普段から考えています」

■公務員でスタートした花岡さんの職歴


新内 「目標8にもあるように、SDGsでは障害のある人の雇用・就労の問題にも触れています。これまで花岡さんは様々な業種で3度転職をされていると伺ったのですが」

花岡 「より良い競技環境を求めて職を転々としていったというところです。最終的には今、フリーランスで落ち着いています」

新内 「最初は公務員をされていた」

花岡 「公務員からフリーランスまで振り幅がありますけど」

新内 「公務員時代は、どういった仕事をされていたのですか」

花岡 「市役所とかそういった行政の中ではなく、高齢者施設に配属されていて、その中でボランティアコーディネーターをやっていました。新しい施設だったので、自分が何をやりたいか結構手を挙げられたんですよね。僕は、自分が入院していた時に社会と距離ができてしまったと感じて、すごく嫌だったので、そこに配属された時に入所しているお年寄りたちに社会との繋がりをずっと持っていてもらいたいなと思いました。そのためには、敷居の低い施設にして、ボランティアさんがたくさん出入りする、そういう施設にしたいなと勝手に手を挙げてやっていましたね」

新内 「その後、一般企業に勤められたとのことですが、この時に転職活動が難しかったりはしなかったんですか」

花岡 「公務員を辞める時、そこから後は自分がアスリートであることをずっと売りにしていたので、実は障害者だということはそんなにハンデにならなかったんですよ。むしろ『車いすで走ったら速いでっせ』ということを武器として売り込んでいたので、このやり方だったら障害というのはそこまでハンデにはならなかった。ただ、やっぱり一般的にはその限りではないですからね」

新内 「お仕事の内容にもよると思うんですけど、仕事をやる上で大変だったこととか苦労はありますか」

花岡 「僕の場合は、車いすに乗っているので、どうしても物理的な障害ですよね。段差があるとかエレベーターがないとか、そういうところでは働けないので最初から選択肢が減っちゃいます。建物を建て替えたり、バリアフリー化をしてもらったりするにはお金がかかるので、なかなか一企業には難しいですからね」

新内 「逆に良かったこととかはありますか」

花岡 「さっきのボランティアコーディネーターの仕事でいけば、自分自身の健常者から障害者になった体験が役に立ったなと思うんです。自分自身が世の中でマイノリティだというのは当たり前だと思うんですよ。車いすを使っている人の方が少ないですから。でも、マイノリティであることが武器になるという事が、僕にとっては役に立ったところかなと思います。まあ、障害が役に立つとか、車いすが役に立つとかは表現として難しいかもしれないですけど、僕自身の体験としては、どちらかというとそういう感じになりますかね。とにかく人に覚えてもらいやすいんですよ、車いす乗っていると。めちゃめちゃ役に立つと思いません? 覚えてもらえるって」

新内 「そうですね。私も名字が珍しいので覚えてもらえることが多いんです」

花岡 「名字といえば、僕も46歳のおじさんなので、新内さんか・・・真打ち登場かあって、ずっと思っていたんですよ、裏で」

新内 「(笑)」

花岡 「誰も笑わないじゃないですか」

(拍手)

花岡 「ありがとうございます。座布団が3枚くらい来ましたね」

新内
 「目標10にあるような不平等な状況を感じたり、他のパラアスリートさんや障害がある方にそういった話を聞いたりとかはありますか」
花岡 「雇用はしてもらえるようにはなってきているんですよ。就業率みたいなものは、確かにどんどん良くなっています。ただ、入った後の昇進とかには差があるみたいですね、まだまだ。障害者雇用で取った人たちは同じ昇進ルートに乗れないというのがあるみたいです。だいぶ変わってきていますけどね」

新内 「それにしても、花岡さんは前向きに話してくれますし、笑顔が印象的です。すごいですね」

花岡 「褒められましたよ、皆さん。もうずっと笑っておこう」

■バリアフリーと目標11「住み続けられる街づくりを」

新内 「さらに目標11『住み続けられる街づくりを』。これに関して、実際に普段の移動などで不便に感じることとかはあります」

花岡 「今日は駒沢オリンピック公園の陸上競技場のそばまで来ていますけど、結構大会で駒沢の競技場を使わせていただくことがあります。でも、やはり以前のオリンピックの時にできた施設ですから、完全にバリアフリーのルートが確保されているわけではなく、不便に思うところはありますね。階段で上り下りできるところを遠回りしないとエレベーターがないとか、そういうことは感じますし、まだまだ同じような場所が街の中にはたくさんあります。でも、僕27年間障害者をやってきて、本当に日本は良くなったと思っています」

新内 「だんだん、バリアフリーの場所が増えていっている感じですか」

花岡 「昔はやっぱり『ここも無理かあ』と思うことが街に出たら多かったけど、今はスマホを持っていればグーグルマップでバリアフリールートも調べられるし、その現場の写真も見られるし、バリアフリー情報がかなりインターネットで見られるようになったので、あまり困ることは実はなくなってはきています」

新内 「電車などの公共の交通機関も全然大丈夫ですか」

花岡 「昔はレーサー(競技用の車いす)を運んだりということもあったので、車移動の方が多かったんです。でも、最近は電車の方が増えてきました。今でも100%完璧ではないですけど、昔は100%駅員さんに頼まないと乗れないのが電車だったんです。20年前は。でも、今は携帯にSuicaを入れておいて、改札をピッと通ってホームまで行ける。電車とホームの段差でスロープが必要なことも多いですけど、最近地下鉄なんかは特に電車とホームの高さがピッタリ同じになっていたりもするんですよ」

新内 「自動ドアと一緒にタラップが出てくるのもありますよね」

花岡 「はい、そうなんです。あれが整備されてきているので、車いすの人が自宅から目的地まで行くのが一人で完結でるようになってきています。かなり良くなっていています」

新内 「充実してきている」

花岡 「昔はアメリカやヨーロッパの方がいいかなとレースに行っても思っていたんですけど、今は日本が追い抜いたと思いますね」

■ハードとソフト

一方で、日本は海外と比べて設備などのハードは整っているものの、ソフト、いわば人の心の面が整っていないといわれることがよくある。新内さんは、この点について花岡さんに問い掛けた。

新内 「海外では結構声を掛けてくれたり、助けてもらえたりする機会が多いのでしょうか」

花岡 「日本も、ちょっと特殊な地域はあるんですよ。大阪とかね。住んでいる時は当たり前だと思っていたんですけど、関東に15年くらい住んで、たまに大阪に帰ると、やたら話し掛けられるなと思うんですよね。エレベーターからおばちゃんと乗り合わせたりすると、すぐ車いすのことを聞いてくる。『兄ちゃん、どないして歩かれへんようになったん』『その車いす、カッコええな。なんぼするん』とかいって、『50万円』と答えたら『50万!』みたいな・・・。そういう話に花が咲きます」

新内 「えっ・・・私も気になってしまったんですけど。50万円もするんですか」

花岡 「これ、世界に一台だけ、僕のためにフルオーダーメードでつくってもらっていますからね」

新内 「どれくらいもつのでしょう」

花岡 「耐用期間ですね。うまく使えば10年くらいは十分に持ちます。値段はピンキリと言いますか、車いすが必要な人には公的な補助があって、10~15万円くらいだったと思うんですけど、お金が出る。その範囲内の商品もあります。ただ、こだわりや軽さ、もっとカッコ良くとかになっていくと、乗用車と同じでどんどんオプション代がかさんできます」

新内 「すみません、ちょっと話がそれてしまいました。先ほどの話ですが、日本で生活していてそういう方を見かけたときにちょっと躊躇してしまうというか、今声を掛けたらびっくりされちゃうかなと思ったりして、あまり話し掛けられなかったりするんですけど、どういった感じで話し掛けられたらいいとかありますか」

花岡 「日本人の良いところとして、真面目さがあるじゃないですか。だから、障害のある人に声を掛けたら、必ず何かしないといけないのではないかというところからスタートしがちですね。でも、欧米の人はそうではない。挨拶から入ってくる。とにかく車いすに乗っていると、海外でも日本でも、見られるは見られます。でも、海外だと目が合うと向こうが挨拶してくる。何もしようとしていなくても。気軽にこっちも会話が交わせるので、そんなに英語はできませんけど、何か困っていたら頼みやすい空気感はありますね」

新内 「変に何かしなきゃという意識より、こんにちはと声を掛けるくらいでも」

花岡 「そうですね。慣れですよ、これ。見かけたら『困っていることないですか』とか『大丈夫ですか』とか、そんな感じの声掛けで十分だと思うんですよね」

新内 「花岡さんが思う、安心して住み続けられる街とは」

花岡 「一つは安心安全ということですよね。安心安全って、都会と田舎ではまた変わってくる。都会はハード面、バリアフリー化が進んでいるので、物理的に障害のある人が困ることは減ってきている。けれども、田舎の方に行くとハード面の整備が遅れているので、そこではやっぱりマンパワーというか、声掛けとか人の繋がりがすごく大事になってくる。どっちで暮らすかは人の好みとか、いろいろありますけど、いずれにしても物理的な障害が無ければ、人と出会えるきっかけが出てくるし、声を掛けてもらえれば、そこで出会いが繋がりになる。どんな場所でも、人と人とが繋がりやすい空間をつくっていくのが、安全安心な街づくりに繋がるんじゃないかなと思っています。めちゃめちゃ真面目な話をしましたが」

■2030年に向けた花岡さんの提言

最後に、新内さんからSDGsの目標年である2030年に向けた「提言」を求められた花岡さんは「元気でいること」の重要性を説いた。

花岡
 「これは僕のテーマでもあるのですが、まずは自分が元気でいること。それ、めちゃくちゃ大事だと思うんですよ。世の中を良くしよう、環境を良くしようと思っても、自分が元気じゃないとなかなかままならない。元気というのは、病気があるとかないとかそういう話しではなく、自分自身が前向きに生きているかどうかだと僕は思っています。もし、僕がプラスアルファで、おへそから上のどこか障害が起きたとしても、前向きに生きていきたいなというのが自分自身のビジョンです。自分が元気だったら、きっと隣にいる人を幸せにできるんじゃないかと思っているんですよね。ただ、これがまた難しい。うちのかみさんや子供も僕、まだ十分に幸せにできていないので」

新内 「そんなことはないと思いますし、そうやって言えるのが素晴らしいですね」

花岡 「目標ですからね。目標は、言うのはタダですから。でも、なんで“隣にいる人”というのかというと、家族とか友人とか、関係があるから優しくするとか、そういうわけではないということなんです。隣に座っている人、顔を見合わせてみてください。そうなんです。今、この瞬間の一期一会かもしれないけど、電車で乗り合わせた人もそうだし、こうやって会場で隣にいる人もそうだし、その隣にいる人が幸せになるためには自分自身が何をしたらいいのかということを僕自身、ずっと考えていきたいなと、それが10年後に対する提言です」

パーソナリティ就任後初の公開収録を終えた新内さんは、番組の最後で「本当に、たくさんの方にイベントに来ていただいて、ありがとうございました」と感謝。「声掛けについては、ちょっと難しいし、勇気が無かったりとか、遠慮しちゃったりしがちだなと思いました。でも、本当に私も街中で見かけたらどんどん声を掛けていこうと思います。携帯などをいじっていないで、注意して街中をよく見まわしてみると、本当にいろいろな方がいらっしゃる。『今、大丈夫かな』と思った時は積極的に声を掛けていこうと思います」と、花岡さんの話を聞いたことで一歩を踏み出すことの重要性を強く感じた様子だった。

さらに「実際に車いすに乗せていただいたりしましたけど、これで段差とか上るのかと思うとすごいなと思いましたし、手伝えることがあるのなら積極的に手伝うことが住み続けられる街づくりにもつながっていくんじゃないかなと思います」とも。誰一人取り残さない-。今回の放送を通じて、そんなSDGsの基本理念の尊さが改めて浮き彫りとなった。


※これまで月イチで放送されていたニッポン放送『SDGs MAGAZINE』は、次回10月の放送から装いを新たに毎週日曜日午後2時10~30分に“引っ越し”。新内さんが出演する「土田晃之 日曜のへそ」内での放送となる。新内さんは「毎週お会いできるというのが大きいかなと思います。持続可能=サステナブルがテーマですから、習慣になってくれることが大事なのかなと思います。ぜひ、毎週チェックしてもらえると嬉しいです」とPRした。

(次回放送は10月2日午後2時10分~)