「女人禁制」から紐解く現代の私たちが考えるべき平等とは?
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日本がロシアに宣戦布告をしたことで日露戦争が勃発した1904年。そんな最中、アメリカのニューヨークでは婦人参政権を求めたデモが起こったことをきっかけに、1975年に国連によって制定された「国際女性デー」が2023年3月8日に48年目を迎えようとしています。
女性の社会参加と地位向上を目的として女性の活躍を称える日として制定された国際女性デーは、SDGsの観点でも目標5のターゲット5「政治や経済や社会のなかで、何かを決めるときに、女性も男性と同じように参加したり、リーダーになったりできるようにする」を達成するために大切な日でもあります。
世界中で広がる女性の社会進出
さまざまな企業や団体の活動によって認知が増えつつある国際女性デーの他にも、2月11日には女性と女児が科学技術の分野で活躍できる機会を増やすことを目的として制定された「科学における女性と女児の国際デー」もあります。
さらに、昨年話題になった女性の社会進出と言えば、2022年9月4日に『笑点』で女性落語家が回答者として史上初の出演を果たし注目を集めたことや、2022年10月22日は賛否両論があるものの、イタリア史上初の女性首相が誕生するなど、世界中で女性の活躍が話題になっています。
女性は立ち入り禁止?歴史的な意味合いを持つ「女人禁制」
そんな女性の活躍が広がる中で、今では女性がいることが当たり前な場所でも、一昔前は「女人禁制」と言って様々な場所で女性の行動が制限されていたことを皆さんはご存じでしょうか?女人禁制とは女性に対する社会慣習の一種とされており、その名の通り女性が立ち入ってはいけないとされている場所のことを指します。
海外でも話題になるほど、現代においてはこのしきたりに対して賛否両論もありますが、一方で女人禁制とされた場所には、様々な理由を元に伝統として受け継がれているのも事実です。
なかでも代表的なものが、2013年に世界文化遺産に登録された日本の象徴ともされる「富士山」です。現在では老若男女問わず訪れることができる富士山ですが、修行の妨げとなるという理由から女性が立ち入れるのは2合目の冨士御室浅間神社までとされ、富士山信仰を持った女性たちは富士山を模して作られた「富士塚」に足を運んでいたという歴史がありました。
女性の富士山への登山が解禁されたのは、今から151年前の1872年3月のことで、当時の女性たちが信仰をしていた富士塚の一部は、富士山信仰の文化を残す貴重な歴史的場所とされています。
また、意外な場所としては「酒蔵」も例に挙げられます。女性が主体となって酒造りをしていた時代がある一方で、酒蔵が女人禁制とされたのは江戸時代以降とされており、酒造りは男性が主体とされる慣習が根強く残っていました。現在では文化や伝統を受け継ぎながら、酒造りの最高責任者の総称である杜氏(とうじ)を女性が担って活躍するなど、酒蔵だけではなく様々な業界で変化が受け入れられています。
男女平等の実現のためにできること
SDGsの17の目標の中には「すべての女性と女の子に対するあらゆる差別をなくす」ことが掲げられています。歴史的背景や文化・伝統による女性に対する差別があったことは事実ですが、その中でも伝統や文化として残しつつ、男女問わず平等と判断されないものは改善し、時代に合った変化が必要であると感じます。ジェンダー平等を実現するためには、一人ひとり差別があった歴史や背景を理解し、今後はよりよい社会にしていくために何をすべきなのか考え、行動に移すことが重要になってきます。
日本の象徴とされる富士山も、一昔前までは女性が入ることができなかったなんて驚きですね。歴史を振り返ると、改めて現代では女性が制限されずに当たり前のように行動できるようになったのだと、時代の進化を感じます。
今回は女人禁制について触れましたが、女性の権利や機会が制限されていた伝統・文化がある一方で、果たしてこの女人禁制は今後絶対に変えなければならないことなのでしょうか。例えば、今でも残る文化の中には、女性が土俵へ上げることを禁止している「相撲」や、女性が立ち入ることを禁止し世界遺産に登録されている「沖ノ島」などが存在しています。これを単純に「女性差別」として捉えるのではなく「伝統や文化」として受け継ぎ、伝統故の良さを感じる人も少なくはありません。
2030年までの目標達成に向けて日々進化する時代の良さもあれば、歴史的背景を元に昔ながらの伝統や文化を守ることの良さもある中で、現代の私たちにとって「一番いい形」の進化をこれからも考えていきたいですね。